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受粉作業をする生産者の松本晃

Story

生産者 松本 晃

プルメリアのレイ

島へ誘う
南国の花

もともと植物を育てることが好きでしたが、特に香りに魅了され、プルメリアやハワイアンレイに使われる植物に夢中になりました。レイとは、感謝や愛情を伝えるために植物で編まれる花飾りです。その後、本場の栽培地を見たいという興味から、東南アジアやハワイに足を運ぶようになりました。

2016年、レイの植物が多く栽培されている八丈島を初めて訪れ、プルメリアが露地で育つ光景に感動しました。そこには、かつてハワイで見たようなダイナミックな風景が広がっていました。その景色が忘れられず、島への移住を決意し、2018年に八丈島に住むことになりました。

香りと食への
目覚め

移住当初は観賞用植物や香りには関心がありましたが、食に対してはほとんど考えたことがありませんでした。しかし、働いていた農園の社長や、全国から食材を求めて来島する人たちとの会話を通じて、次第に「食」について深く考えるようになりました。

ちょうどその頃、ニュースでバニラビーンズの主産地が不作で、世界的にバニラの価格が高騰していることを知りました。その時、今まで自分の中で分かれていた「香り」と「食」が「バニラ」という植物を通じて結びつきました。私はすぐにバニラの栽培に取り掛かりました。

青いバニラの房

バニラを
通して
繋がっていく

2020年、私は独立し、本格的にバニラ生産をスタートさせました。バニラビーンズの生産には、栽培と後加工があり、高度な技術と長い時間が必要です。試行錯誤を繰り返す中で、成功することもあれば、うまくいかないこともあります。しかし、それも理想を実現するプロセスの一部と捉え、楽しみながらバニラに向き合っています。

バニラビーンズは独特な香りが特徴ですが、それ自体には全くといっていいほど味がありません。他の材料と組み合わせることで、初めてその魅力が発揮されます。ここ八丈島で育てたバニラがみなさんの手で活かされ、その優しく甘い香りがレイのように人々を繋げていくことを願っています。

バニラ生産者 松本晃
夕暮れの南原千畳敷
八丈島の森

震災と癒やし

1971年、大阪で生まれた私は、地元の学校を卒業してしばらく働いた後、26歳の時に関東へ上京しました。

2011年に東日本大震災が起きた時、私は神奈川に住んでいました。幸い直接の被災は免れましたが、精神的にとても落ち込みました。そこで少しでも気持ちを明るくしようと、南国の花を育て始めました。幼少より両親が家庭菜園に熱心だったこともあり、そのころは野菜も育てていて、心の拠り所として植物に目が向いたのは自然なことでした。

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